Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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2019年03月26日(火)1 tweetsource
#Dogen #哲学 #正法眼蔵 前掲書④ 前掲書によれば、どうやらことの発端は他ならぬというかやはりというか #道元 が死亡した年建長5年(1253)に始まる道元本人ではない #懷奘 による「書写」らしい。つまり最後の年に道元が病に倒れ #永平寺 住職の座を懷奘に委ねた直後からの「書写」作業だろう。 📷
2019年03月25日(月)2 tweetssource
#Dogen #philosophy #道元 が #正法眼蔵 「 #画餠 」(絵に描いた餠)巻で言う「画図」は先ずもって「始源的身体図式」を意味する。私は #メルロポンティ の『 #知覚の現象学 』における「始源的身体図式 」について拙著『 #カンブリア革命 』の1章を費やして論じた。
2019年03月23日(土)2 tweetssource
デカルト の「 #瞑想 #meditation 」の経験それ自体は「近代」「中世」「古代」といった通俗的な時代区分を超えている。
カルト が「( #神 による永続的な) #連続創造説creation continuelle」を語っていたとき、彼はあらゆる瞬間が始まりも終わりもない『自己=存在=時間=行』の「起滅」においてあるという上記の事態に出会っていたのかもしれない。
2019年03月22日(金)4 tweetssource
#告白の行方 #Philosophy #哲学 #contemporarythought #現代思想 ここで実験的に定義される《言表分析》は、〈言表行為の主体〉の生産過程において、同時にこの主体が〈言表の主体〉に作り替えられるプロセス(この生産・作り替えの場を〈セミナ-〉という概念で呼ぶ)に分析の焦点を絞り込んでいる。
https://plaza.rakuten.co.jp/zeroalpha/2015/ 私の友人である執筆者:林正憲(Hayashi Masanori)氏により著作「 #告白の行方 」に対して寄せられた批評を、本人の許可のもとに公開する。これ以上にクリアなレビューは、少なくても私には想像できない。
2019年03月21日(木)1 tweetsource
#哲学 #philosophy 「 #ギリシア哲学 」という慣用語は、「 #西洋哲学 」といったもう一つの慣用語とセットになって極めて大きな影響を及ぼし続けているある種の誤解の発生源となっているのではないか。とりわけ地政学的な歴史と地理に疎い私たち日本人にとっては。
2019年03月20日(水)1 tweetsource
結局このレビュアーの「最終解決」「最終解答」という言葉とパラダイムを導き出したソースの #古東哲明 氏の「終極地点」という言葉とパラダイムが問題だったということである。
19年03月15日(金)2 tweetssource
#philosophy #現代思想 #哲学 #contemporarythought 今更私が言うまでもないが、 #古東哲明 による本書のキーワードである「U字構造の行法」の最重要の起源は #ハイデガー だろう。すなわちメタフィジカルな「故郷」からの離脱(「離郷」)と回帰(「帰郷」)の運動だ。これに何も異論はない。
#philosophy #古東哲明 氏の『 #現代思想 としてのギリシア哲学』から示唆された論点または仮説。
2019年03月13日(水)1 tweetsource
https://bit.ly/2T4mjEe アマゾンレビュー #人口汎用知能 ( #AGI ) の誕生が現実性を帯びるとスポットライトはまず #ニーチェ から #カント に移動する。カントから観れば、むしろ #メイヤスー こそが「人間主義」2018年2月10日(再掲)
2019年03月12日(火)1 tweetsource
#philosophy #哲学 私の言葉では、《現実それ自体=経験それ自体》となる。 #イデア #諸法実相
2019年03月11日(月)1 tweetsource
#哲学 #philosophy いわゆる「東方世界」において #プラトン の #イデア に対応するのは 「 #諸法実相 」であるだろう。
2019年03月09日(土)2 tweetssource
#古東哲明 #哲学 #philosophy あらためて眺めると、この発展段階論的なフレームワークを成立させているものは、ここでの三段階各々のタイトルとなっている三つのギリシャ語であることがわかる。これら三つのギリシャ語のイメージが先行してマインドフルネスのイメージを形成しているということだ。
2019年03月08日(金)1 tweetsource
#古東哲明 氏単独の記述パート読了。やはりかつて何度も繰り返し見た、「デジャヴュ」感に満ちた段階論的フレームワークに終始した。
#哲学 #philosophy #マインドフルネス 昨日数分ざっとめくって見たが、唐の著名な禅僧 #趙州従シン :言偏に念(ジョウシュウジュウシン)の名前が目を引いた。「最重要存在」なので彼が登場しても何の不思議もないのだが。
2019年03月05日(火)1 tweetsource
#Dogen 「自ずから現実化する実践の継続とは、まさに今実践を継続することにほかならない。この実践の今は自己によって本来的に所有されるものではない。」 #道元 『 #正法眼蔵 』「行持」
2019年03月02日(土)1 tweetsource
#contemporarythought 例えば「死の欲動」を巡る「 #現代思想 」の言説の全ては単なる与太話だったということ。「生から死へ」という連続する枠組みで語られたあらゆる「思想」「 #哲学 」は凡庸で愚昧である。
2019年03月01日(金)3 tweetssource
https://bit.ly/2tHdxBT #哲学 #Dogen #道元 #正法眼蔵 「 #諸悪莫作 」巻 訳文の改訂版(再掲)「善悪は私たちが生きて実践する過程としての時間であり、私たちが生きて実践する過程としての時間を原因として生じる何かなのではない。」
https://bit.ly/2Eo2SAO #道教 について(再掲) #哲学 #朱子学 #道教 は、いまだかなりイメージに依存している。民衆あるいは庶民にとっては、それはほとんどすべてイメージに尽きる。従って道教においては究極原理あるいは究極目標(のイメージ)が設定される。 #朱子学 もこの系譜上にある。
2019年02月27日(水)2 tweetssource
#哲学 #Dogen また #道元 と #ハイデガー の両者を同時に論じたスティーブン・ハイネの著書の画像とそれへのコメントから始まる全てのツイートを参照。
#Dogen #道元 #正法眼蔵 「仏性」巻より引用:「時節若至といふは、すでに時節いたれり、なにの疑著すべきところかあらんとなり。疑著時節さもあらばあれ、還我仏性来なり。」
2019年02月22日(金)5 tweetssource
これまでのスレッドで引用してきた「哀悼可能性の配分への批判」を初めとする #ジュディス・バトラー の全ての言葉を振り返るならこのことは明瞭である。
ここであることに気づかないだろうか? ここでの #ジュディス・バトラー のポジションは、まさに「改革派ユダヤ教徒」として出発し極めてラディカルな「保守派(正統派)ユダヤ教(徒)」批判を展開してた #イエス のポジションに類比的なのだ。
つまり上記Bodies That Matter アマゾンレビューの引用箇所における #ジュディス・バトラー の #クリプキ 批判は「改革派ユダヤ教徒」による「保守派(正統派)ユダヤ教(徒)」批判として
ジュディス・バトラー は改革派ユダヤ教徒であるようだが、彼女が #クリプキ をこのように読める重要な理由またはそれを可能としたファクターはまさにそれだろう。引用の連鎖や反復、隔たりといった鍵概念の発明とこうした使用。しかしそもそもクリプキが丸ごとユダヤ教の系譜だ。
2019年07月05日(金)1 tweetsource
#カーツワイル は #ベイトソン を読んだのだろうか? 無論読んだと思うが。思い切って単純化して言えば、 #シンギュラリティ は、ベイトソンの言う「学習Ⅳ」というステージに相する。
2019年07月04日(木)2 tweetssource
「絶対的な意志すなわち #自由意志 」の非存在と原因による決定の無限系列の進行を述べた #スピノザ の『 #エチカ 』第2部定理48はまさに #縁起 の #哲学 そのものである。
なぜ私は #ウィトゲンシュタイン を好むのか? それは多分、私も彼も「 #仏陀 の徒」として生きた/生きているという共通点があるからだろう。
2019年06月07日(金)1 tweetsource
#contemporarythought #philosophy #現代思想 #哲学 もう何度も言っているが、「加速主義」というのははあきれるほど中身がない。自滅の過程に尽きる。
2019年05月25日(土)9 tweetssource
ジジェク ただ「主観的な「裏切り」について語ることは客観的な袋小路をうやむやにしてしまう。」といった指摘は現在のこの国の状況に照らしても妥当する普遍性を持っている。
ハイデガーが最終的に行き着いたのは、「人間は待ち望むことだけができる」というエレメント、言い換えれば「ただ神だけが我々を救う」というエレメントであった。ジジェクも同じではないだろうか?
彼にとって《来るべき》という形を取る時制は最後まで特権的なものであった。ドゥルーズの「来るべき民衆」やデリダの「来るべき民主主義」も同じ分類になる。
ちなみにハイデガーの言葉「人間はただ"準備できている"という力だけを持つ。あるいは来るべきものを待ち望むということそれ自体を耕す力だけを持つ。(一部意訳)」がある。
むしろ「グローバル資本主義」は現在より劣悪な別の位相へと移行しつつあるという現実的な可能性も考慮すべきではないだろうか。
歴史の「悪い最終的審級」としての「グローバル資本主義」と「良い最終的審級」としての「(来るべき)コミュニズム」(「希望の契機=時期」)の二項対立図式の提示ということだ。
またこの図式はグローバル資本主義の次がこれも最終的に「目指されるべき(良い)段階」として配置されることにつながる。
そのためトランプもルペンも「ポピュリズム」もその他現存する政治的事象はすべてその図式のどちらか(つまりここではグローバル資本主義の内部)に配分されてしまう。
ジジェク自身は否定するかもしれないが、「グローバル資本主義」を独立した「歴史の最終的審級」にしている前提から、彼はそれとの二項対立図式(グローバル資本主義VSコミュニズム)から逃れられないように見える。
2019年05月17日(金)1 tweetsource
「あらゆる #全体主義 にあてはまる教訓(中略)それはすなわち、外部の敵に対する攻撃はおそかれはやかれ、つねに内部の敵に対する攻撃に転化する、ということである。」 #ジジェク の言葉。2019年05月16日(木)1 tweetsource
「主観的な「裏切り」について語ることは客観的な袋小路をうやむやにしてしまう。」
#ラカン が晩年に辿り着いた、欲動の享楽の場所としての身体すなわち「享楽の実体 substance」を私は《 #自己の身体 》と呼ぶ。
2019年05月11日(土)1 tweetsource
http://ur0.work/V9e1 amazonレビュー: #マインドフルネス 運動の一般向けマニフェストーー本来的には、古東氏の言う「U字構造の行法」とは、今ここでの日々の生活の実践そのものとしての現実であり、その「外(部)」は存在しない。2019年05月10日(金)1 tweetsource
いずれの #老舗企業 も実に素晴らしい。登場する老舗企業の経営者・職人・技術者たちの言葉の深さと普遍性がとてつもない。 #philosophy #哲学
2019年05月08日(水)1 tweetsource
http://qq2q.biz/QN80 受験産業システムと一体不可分な入試システムは、メディア産業システムと一体不可分な選挙システムとアナロジカルに分析可能 (再投稿) #哲学 #千葉雅也 #東浩紀
2019年04月10日(水)4 tweetssource
すなわちまだ何度か彼に言及することがあろうと、上記が #メルロポンティ に関するラストワードであることには変わりはない。
上記は #メルロポンティ に対するラストワードになり得るだろう。まだ何度か彼に言及することになるだろうが。
#メルロポンティ つまり彼が語り続けてきた《 #両義性 》は、彼が受け継いだ古代以来の「 #哲学 」を遥かに超えた領野の表現であった。しかしだからこそ、この両義性と渾身で格闘した者だけが哲学の名に値する。
#メルロポンティ は古代より彼に受け継がれてきた #哲学 の #デッドロック とその彼方の境界線上で遺稿『 #見えるものと見えないもの 』を書いていたが、彼をそこへと導いたのは彼が語り続けてきた《両義性》である。
2019年04月04日(木)1 tweetsource
#内山興正 この「 #非思量Non-thinking」に「終極地点」は存在しない。
2019年04月03日(水)3 tweetssource
つまり #内山興正 は「あなたが何を考えようと、あなたがすべき唯一のことはそれらすべての #コギト を手放すことである」と述べている。
#内山興正 この「考え」「思考」は私たちのあらゆる「思い」「情動」「感情」「感覚」「知覚」等を含むものであり、最も広い意味での #デカルト の「 #コギト 」である。もちろんこの「手放す」は「抹消する」とは違う。当然「抹消する」ことは出来ない。 #内山興正 これは私たち一人ひとりに対して、例えば #マルクス・ガブリエル や #ウィトゲンシュタイン に対しても的中する言葉である。ウィトゲンシュタイン自身がこれに類する言葉を述べている。マルクス・ガブリエルは「自分自身の思考」にとらわれたままだろうが。 #philosophy #哲学
2019年03月29日(金)2 tweetssource
従って私自身はレビューで 「古東氏の言う「U字構造の行法」(98頁)が終わりなき「修証一等」 の過程であるならば」と一見肯定的に書いてはいるが、 #古東哲明 氏の「U字構造」というパラダイムに意味があるとは考えていない。
従って、私自身はレビューで 「古東氏の言う「U字構造の行法」(98頁)が終わりなき「修証一等」 の過程であるならば」と書いてはいるが、実は #古東哲明 氏の「U字構造」という言葉とパラダイに何か意味があるとは考えていない。 #
2019年03月27日(水)5 tweetssource
これを含めて上記ファイルの全ての訂正箇所はかなり以前に発見されていた。
最も重要な訂正箇所は 「⑦ 175頁末尾から3行目 「母は東京女子医専の受験勉強中に」という記述部分を⇒「母は東京女子医専の学年末試験勉強中に」と修正する。」である。
もちろんこれを含めて上記ファイルの全ての訂正箇所はかなり以前に発見されていたのだが、反映させる機会がないのがもどかしい。 今更で申し訳ないというかお恥ずかしいのだが、最も重要な訂正箇所は 「⑦ 175頁末尾から3行目 「母は東京女子医専の受験勉強中に」という記述部分を⇒「母は東京女子医専の学年末試験勉強中に」と修正する。」である。 http://ur0.biz/U0pE 超重要:最終決定版 拙著『 #カンブリア革命 』初版における「誤植・訂正等改定箇所」 本情報は極めて重要なので結界で保護する必要がある。


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